そもそも千家との関わり合いは、千利休までさかのぼります。今から四百数十年前の桃山時代、有馬家の則頼(のりより)(天文2年~慶長7年 1533~1602)は秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)であって、当時の大名はほとんど利休の弟子であったことから、則頼も利休の弟子であり、則頼の子豊氏(とようじ)も茶の湯の手ほどきを受けていました。後に則頼は刑部卿(ぎょうぶきょう)法印と称し、かなり深く茶の湯に親しみました。
天正18年10月4日、自分の領地有馬郷の温泉、阿弥陀堂二畳座敷における秀吉の有馬茶会に、利休と共に一番衆に陪席しました。この折に秀吉の妻おねも同道し、最後の夫婦の旅となったようです。
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