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猶有斎千宗左家元襲名、而妙斎千宗旦改名披露晩餐会 右に お家元宗匠、京都府知事、京都市長、 出光昭介氏 左に 而妙斎宗匠、聚光院和尚、裏千家御家元、武者小路千家御家元 |
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先代の即中斎は隠居することなく、昭和54年(1979)に79歳で亡くなりましたが、昭和52年、炉の時期から喜寿のお茶事を始めました。翌年の春も続けて、夏に茶事の道具を片付けていたら、即中斎が「秋からまたお茶事をするから、道具はきちんと片付けんと、かわかして置いといてや」と言っていたのを覚えています。それから体調を崩してしまい、お茶事を続けることができなくなりました。即中斎は喜寿のお茶事が終わったら隠居するつもりであったようです。そして、隠居してからの花押もそれとなく考えていたようです。
そういうこともあって、私も何となく、自分の喜寿のお茶事が終わったら、80歳を区切りとして隠居しようかなと思うようになりました。ですから隠居に対して何か特別のおもいがあったわけではなく、ごく自然な成りゆきであったように思います。私は今年で83歳をむかえます。歴代のなかで一番の長寿となりました。
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