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了々斎『勤書』より
初而之御目見仕ル(初めての御目見え仕る)
『勤書』
  『勤書』
表千家9代家元の了々斎が書き残した『勤書』の冒頭に見えることばです。寛政9年(1797)2月1日、了々斎は紀州徳川家10代藩主の治宝(はるとみ)公に初めてお目見えしました。この時、了々斎は23歳で、家元後嗣の名である宗員を名のっていました。父の8代啐啄斎と一緒に和歌山城内の「仲の間」という座敷において、主君の治宝公に初めてのお目見えをはたしたのです。
7代如心斎も『勤書』を残していて、如心斎は13歳の時、父の6代覚々斎にともなわれて、6代藩主の宗直公に初めてお目見えしたことを記録しています。                    
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