世界の喫茶文化

茶の湯の伝統

利休の茶の湯とその流れ

茶室と露地

形とふるまい

茶の湯の道具

茶の湯の楽しみ

静聴松風

茶人のことば

了々斎『勤書』より

  その一

  その二

  その三

茶人のことばと人となり

これまでの掲載文

表千家の茶事

内弟子「玄関」の一年

茶の湯の歳時

茶の湯の菓子

茶室への誘い

利休をたずねる

花所望

了々斎『勤書』より
於御庭、焼物被仰付候(御庭に於いて、焼物仰せ付けられ候)
『勤書』
  『勤書』
徳川治宝公の御庭焼(おにわやき)はよく知られます。治宝公の御庭焼が初めておこなわれたのは文政2年(1819)です。この年の4月からおよそ2ヶ月にわたり、治宝公の別邸西濱御殿において偕楽園焼と称される御庭焼がおこなわれました。
『勤書』によれば、了々斎の和歌山出仕に樂家9代了入の悴「惣二(治)郎」(10代吉左衞門、のちに剃髪して旦入を名のる)がお供で同行したことを聞いた治宝公は急遽、旦入に焼物づくりを命じたといいます。そこで旦入は京都から焼物づくりに必要な道具や用具を運ばせ、西濱御殿の庭に小さな窯をつくらせました。
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Japanese Tea Culture