天明の大火(1788年)の後、利休二百年遠忌を迎えるにあたり、啐斎によって復興された祖堂は、利休二百五十年忌に併せてふたたび吸江斎が建て直すことになった。
茅葺き(かやぶき)の切妻(きりづま)屋根で、妻の扁額は大徳寺の竺嶺(じくれい)和尚(1746年寂)の筆になる「點雪(てんせつ)」という文字である。そこで點雪堂とも呼ばれている。
『碧巌録(へきがんろく)』に「紅爐上一點の雪の如し(こうろじょうのいってんのゆきのごとし)」という句がある。赤々と燃えさかる火の上に、雪がひとひら舞い落ちる。一瞬にして何の物音もたてずに消えさってしまう様をいうのである。
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