元禄13年(1699)~安永5年(1776)千家十職中村宗哲家三代。方寸庵、漆翁、漆桶、勇斎などと号した。20歳までに覚々斎、如心斎の茶事に客となっている。如心斎判利休形十二器の制定にも預かり、のちには当時の好みも加えた三十二器を制作。俳諧を好み、70歳の賀には、700歳の彭祖仙人にあやかり、「ほうそ」の字を折句として箱書を付した彭祖棗を制作した。