ルソン茶壺の代表作として古来著名で、利休が所持したことでも知られている。その伝来は足利将軍家よりはじまり、信長、利休へと伝わり、秀吉が懇望したにもかかわらず、利休は大徳寺にこの壷を託し、利休没後は加賀の前田利常の蔵となっている。利休が大徳寺聚光院にこの壷を託した折りに認めた、自筆の書状が「橋立ノ文」として添っている。