薬としての茶

12世紀の末、臨済宗の僧栄西は、禅宗を持ち帰るなかで、中国宋代の新しい茶の製造法と利用法を学んで中国から帰りました。その栄西がもたらした茶は、こんにちと非常によく似た緑茶の粉末を攪拌して飲む習慣でした。
建保2年(1214)、将軍源実朝が二日酔いで苦しんでいた時、栄西が茶を献じて、実朝の二日酔いがすっかり回復したということです。この話は『吾妻鏡』に記されていて、栄西はこの時、茶の効能を説いた書物も献上しました。これが『喫茶養生記』であると考えられています。ここには、茶が人間の内臓を強化して寿命を延ばす仙薬であると記されています。そこに記された薬用効果は、現在医学的に証明されたものも少なくありません。以後、茶は広く日本に普及し、喫茶の文化が定着することになります。

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臨済宗 りんざいしゅう
禅宗の一つで、開祖は唐の臨済義玄。鎌倉時代の初期、栄西によって日本に伝えられた。
宋代 そうだい
960-1279。趙匡胤により建国され、1279年元によって滅ぼされた。
攪拌 かくはん
かきまぜること。
源実朝 みなもとのさねとも
建久3年(1192)-承久1年(1219)。源頼朝の次男で、鎌倉幕府の3代将軍。
『吾妻鏡』 あずまかがみ
安徳4年(1180)から文永3年(1266)までの鎌倉幕府の事績を記録した史書。
Japanese Tea Culture

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