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利休の茶の湯大成の意義は、「わび」の思想の確立にもあるといえるでしょう。ここでは逸話として伝えられた利休の言葉から、利休の理念について考えてみましょう。
元伯宗旦からの聞書を編集した『茶話指月集』に、次のような逸話があります。桑山左近が、利休へ露地のしつらいについて尋ねたところ、利休は「樫の葉の もみぢぬからに ちりつもる 奥山寺の 道のさびしさ」この一首にて心得よと申された、といいます。この歌は鎌倉時代の僧、慈円によって詠まれたもので、利休が露地のしつらいについてその境地を示すのに用いたものです。「樫の葉が紅葉しないままに散りつもった、深山の寺に続く道の寂しさよ」というこの風情は、利休が露地について、どのようなイメージを持っていたか、うかがい知ることができるでしょう。
また、利休の曾孫にあたる江岑宗左が、千家に伝わる伝承を書き記した文書のなかには、次のような逸話があります。利休は
高麗筒花入を四畳半の床柱にいつも掛けていた。利休が申されるには「この筒花入、鉢開の黒茶碗と墨跡を持っていれば、山住まいをしても寂しいことはない」。高麗筒の花入は、わびた趣の南蛮物の筒花入で、利休晩年のわびを象徴する道具の一つとして知られています。また鉢開は利休七種にもあげられる長次郎作の黒茶碗です。これらの花入と茶碗、そして禅の象徴である墨跡があれば、山住まいをしても寂しくないという利休の言葉は、利休の茶の湯の理想がどのようなところにあったのかを示しています。
直接目に見る美しさではなく、その風情のなかに美的な境地や、心の充足を探求しようとする精神をもって見ることのできる美しさ、すなわち「目」ではなく、「心」で見る美しさが利休の「わび」であり、利休の茶の湯を語るキーワードともいえるでしょう。

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慈円 じえん
久寿2年(1151)-嘉禄1年(1225)。鎌倉時代の天台宗の僧。『新古今和歌集』にその歌が多くみえる。
鉢開 はちひらき
長次郎作と伝えられる黒茶碗。
Japanese Tea Culture

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