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寝殿造りの家屋は、母屋(もや)と庇(ひさし)から組み立てられていました。母屋は夜寝る所で庇は昼の生活の場で、庇は広々としていました。貴族にとって大切な儀式は南の庇でおこなわれ、北の庇が日常の生活に使われ、次第に拡張されていきました。 
やがて屋内の空間を、壁や襖で間仕切るようになりました。これまで屋内と屋外を仕切っていた蔀戸という建具にかわって、引戸明かり障子が使われるようになり、常に屋内に明かりが取り入れられるようになりました。 
昔は床(ユカ)は板敷きで、板の間(ま)の上に畳(座具)をおいて、すわっていました。冷たく硬い板の間に畳を敷き詰めることができたら、と望むようになりました。そして畳の規格を定め量産できるようにしました。こうしてどんな広い部屋にも、座具であった畳が敷き詰められるようになりました。これが座敷です。足利将軍義政の頃のことでした。
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蔀戸 しとみど
寝殿造りの邸宅に設けられた屏障具。格子組の裏に板をはったもので、日光をさえぎり、風雨を防ぐための戸。
引戸 ひきど
鴨居と鴨居の溝をすべらせ、左右に開け閉めする戸。
明かり障子 あかりしょうじ
薄い紙をはった障子。
Japanese Tea Culture

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