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茶の湯にて客を招き、一会の茶会を催す主人は、心をこめて客を招き、客の心を満足させるため、茶会の準備にはたいへんな力を注ぐものです。
茶室に道具を取合せ、主人が茶室にて茶や料理を振舞う茶事となれば、その日の茶会の記録は主人は勿論、客の手元にも残されることとなります。これが茶会記です。
茶事に招かれた客は参加した茶会を偲んで道具を楽しみ、あるいは亭主は、備忘のため、また鑑賞のため、茶会記が主人と客の双方に残されてきます。
してみると、茶室に道具を飾り、主人の主導のままに客は茶をたのしみ、それを記録に残すとなれば、ちょうど演劇の世界において舞台をかまえ、役者・俳優の個性のまま劇の演ぜられるとき、その台本にあたるものが茶会における茶会記ということも出来ましょう。
茶会記の歴史といえば、利休の若いころ、天文年間(1532-54)よりはじまります。堺の津田家の『天王寺屋会記』とか、奈良の松屋源三郎による『松屋会記』など「四大茶会記」とよばれる利休時代の厖大な茶会記には、茶会ごとの単なる道具の列記にとどまらず、多くは鑑賞の実録といえる部分をも残していて、茶人の歴史の上、また美術史の上に茶会記のもつ意味は大きなものがあります。
一会の茶会が成立するところ、茶庭・茶室をはじめそこに登場する主客の人物像は、ときに早々と消えて歴史の上の名のみとなることがあります。しかし、道具並びに道具の取合せを記録する茶会記は長い歴史にわたって伝えられ、その昔の茶を回想の上に再現するにとどまらず、時には人の命より永い生命をもつ道具が大切に伝えられ、その昔の茶会の再現さえ可能とするはたらきを持っています。

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四大茶会記 よんだいちゃかいき
『松屋会記』『天王寺屋会記』『今井宗久茶湯日記抜書』『宗湛日記』の四つの茶会記をいう。
Japanese Tea Culture

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