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本能寺の変により信長の死を知った秀吉は、岡山の高松城攻めより引き返し、6月13日山崎の合戦にて光秀を敗ります。 そして山崎の天王山に城を築きこの地に滞在します。 秀吉はこの戦さで天下制覇の基礎を作り、秀吉と利休の関係はこれ以後急速に深まり、後に利休は天下人秀吉の茶堂となります。
この山崎にて利休が作った茶室が待庵で、現在国宝に指定されています。 二畳敷隅炉の茶室内は床の内部を壁で塗り廻した室床や屋根裏と棹縁の変化のある天井などが見事な調和を作りだし、利休の佗を表現した代表的な小間の茶室です。 また茶室への入口は躙口といわれ、漁師が用いたくぐりを見た利休がはじめて小間に用いたものといわれます。
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