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26日を過ぎれば、一日ごとに正月が近寄ってきた。
藩主が参勤交代にも使ったという、御城の下から東に延びる大路、追手筋(おうてすじ)。日曜日にはこの追手筋に、七百を超える露天商が並んだ。日曜市(にちよういち)である。
正月を控えた日曜市には、玄関先を飾る杉と、南天の小枝が並んだ。
28日になれば、賃餅搗きが町にやってきた。
リヤカーにドラム缶のかまど、蒸籠、薪などを積んで、市内の町々をおとずれる。そして各家庭の餅搗きを請け負った。
原っぱはどこにでもあった。餅搗きが始まると近隣の町からこどもたちが集まり、蒸籠が噴き出す糯米の香りに鼻をひくひくさせた。
一日ずつ、正月が近づいてくる。
もう幾つ寝るとお正月……この唱歌を、肌身で感じられる時代だった。
何年か前に、クリスマス前から1月10日ごろまでグアム島に長逗留したことがある。
雪とは無縁の南海の島でも、クリスマス飾りは盛大だった。強い陽にさらされた綿の雪を、なんとも奇妙な思いで眺めたものだ。
綿の雪も飾り付けも、クリスマスが過ぎてもそのまま残った。新年を迎えても取り払われず、帰国の10日になっても残っていた。
グアム島という、南国ならではのゆるさかと、そのときは納得した。しかしその後年におとずれたハワイでも、米本土でも、事情は同じだった。
新年を迎えても、多くの町でサンタクロースは店のウインドウに居座っていた。
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