私の家は、江戸時代初期より桝屋庄五郎の屋号で現在の京都四条烏丸付近で薬種商を営んでいましたが、享保年間に人形作りの才に秀でた当時の当主が生業を人形師とし、御人形細工師初代桝屋庄五郎を名乗りました。これが私の家の人形師としての起源です。初代は名工の誉れ高く、享保十一年に祇園祭の長刀鉾の守護神である和泉小次郎親衡像を作っています。また、病除けの願いを込め薬草を刈る子供の姿を写した草刈童子を作り家の守り神としました。
その後、御所人形の制作技法を確立した三代目庄五郎は、明和四年(1767)に後桜町天皇より宮中出入りの御所人形司として有職御人形司伊東久重の名を賜りました。それ以後当主は伊東久重を名乗る習いとなっています。
また、寛政二年(1790)には、光格天皇より「入神の作に捺すように」と天皇家の御紋である十六菊花紋印を拝領いたしました。
このような栄誉に恥じることなく、代々の者が御所人形の制作技術の研鑽を重ね、今日なお皇室のご慶事に用いられる御所人形を制作しています。
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