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二条城観桜茶会 |
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それ以来今日まで、土田家は千家の御用をつとめ、私で十二代となります。
私が、他の職家さんたちとちょっと違うところがあるのは、お家元のお玄関でお世話になったことでしょうか。
戦争から戻ってきた父は体を悪くしていて、私が中学を卒業した昭和30年ころは、少し重い状態でした。そこで母がそのころの職家さん2、3人にお話しをしましたところ、お茶のことが何も分からないのは困るだろうということで、先代のお家元即中斎宗匠にお願いし、お玄関に入れていただくことになりました。
朝、お家元へ出勤し、掃除をして、お仏間の香炉や玄関の来客用の煙草盆の準備をし、朝の10時と3時には、奥様方やお玄関の方へ奥の室でお茶をお点てして、夜は学校へ行く、という毎日でした。当時は今と違ってのんびりしていて、毎日通ってくる内弟子さんも少なく、事務の方も3、4人しかおられなかったように記憶しています。
他の仕事といえば、灰を作ったり、炭を切って洗ったり、三八の稽古日には水屋の準備をしたりと、今の玄関さんがされる仕事と大きく変わりはなかったように思います。
お家元に通ってはいましたが、昭和35年に先代の大西さん、飛来さん、当代の奥村さん、黒田さんと一緒に職家としてお家元へ出仕することになりました。ですからその後は、玄関の仕事もしながら、毎月一日には職家としてお家元へ出仕する、という二足のわらじを履くようなことになりました。 |
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