表千家不審菴：静聴松風：二つの道［森下典子氏］

母の勧めで、母の友人でもある武田信子先生のお稽古場に通い始めたのは、大学二年の時でした。私は茶道とは何かなど、全く知らず、ただ「お茶を点てる方法と、飲み方を習うのだ」とばかり思っておりました。
ところが先生は、歩き方や座り方を教えて下さいました。私はきっと、きょとんとした顔をしていたことでしょう。掛け軸やお花の拝見の作法を習った時も、私は（人もいないのに、なぜ、床の間にお辞儀をするのだろう）と、奇妙な気持ちで頭を下げていました。何もかもがそんな調子で、自分は一体何をやっているのかわからないまま、毎週、茶巾を畳んだり、茶筅通しをしたり、不思議な動作を言われる通り繰り返していたのです。
けれど、そういう稽古の中で、先生の言葉にハッとするような魅力を感じる瞬間がありました。
「棗は、半月かけてお持ちなさい」
「建水を手なりに置きなさい」
「重いものは軽々と、軽いものは重々しく持ちなさい」
「空の柄杓は、横にして通うのよ」
それらは、耳にしたことのない言葉でした。そして、自然な手の動きや所作そのものを写し取った美しい日本語でした。
お稽古が終わって「ありがとうございました」と、先生の家の門を一歩外へ出ると、なぜかいつも空が高く遠くまで見えて、私は空を見上げながら帰り道を歩きました。