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聚楽第の造営された地は上京の堀川より西の地域で、もと平安京の内裏の一部であり、当時は空閑地であったといいます。この地域には後に聚楽土と呼ばれる栗色系の独特の土があり、壁土に使用されると聚楽壁と呼ばれます。
天正4年の日蓮宗頂妙寺の文書に、川より西(後の聚楽第)の地域に住する人の中に樂家の先祖にあたる田中氏の名があります。この川より西組の地域に住んで焼物を焼いていたのかもしれません。
そして利休がこの地域に住する天正14年頃から、利休の指導により樂家初代長次郎がこの地の土(聚楽土)を使って焼き上げた茶碗(今焼茶碗・聚楽焼茶碗)が登場します。
利休の指導による茶の湯のために生まれた樂茶碗の誕生です。
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