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秀吉は天正11年京都二条にあった日蓮宗妙顕寺を接収し、妙顕寺城として京都支配をします。
しかし京都の都市改造を行うにともない、天正14年その中心として聚楽第を造営し廻りには大名屋敷も作られます。
利休も本丸より東北のあたり、一条通葭屋町に屋敷を構えます。ここは利休聚楽屋敷と呼ばれ邸内には書院他に四畳半、一畳台目の茶室が作られたと伝えられます。
秀吉の御成もあったといわれる書院は色付九間書院と呼ばれ、現在の表千家の茶室残月亭のもとになるものといわれます。突上げ窓から残月がのぞめたと伝えられ残月亭と呼ばれています。
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