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唐物茶入 博多文琳 福岡市美術館蔵(黒田資料) ※禁無断転載 |
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九州博多は古くから大陸との窓口となり貿易で栄え、多くの商人が活躍していました。
島井宗室や神屋宗湛は利休当時の代表的な商人であり、茶人でもありました。
宗室は信長との関係が深く本能寺の変の折、本能寺に宿泊していたと伝えられます。
信長は自ら蒐集した名物道具を宗室に見せるため、安土より本能寺に取りよせたといわれます。
神屋宗湛は秀吉とのかかわりが深く、天正15年正月3日大坂城において秀吉より筑紫の坊主と声をかけられ特別のあつかいをうけるなどの厚遇をうけたことが自らの日記(宗湛日記)に記されています。
尚、この折に利休とはじめて会ったともあり、当時の茶を知る重要な記録といえます。
所持の文琳茶入は博多随一とされ博多文琳とよばれました。
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