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表千家不審菴:利休をたずねる
表千家不審菴:道安「茶の湯こそ…」
道安「茶の湯こそ…」



          茶湯こそせぬ人もなき
             手すさミの
           こゝろのするハ
             世にもまれなり

         右之心 茶道の奥儀
         にて御さ候 御工夫可有候哉

          慶長六年
             十月三日

千 道安・少庵

利休の実子道安は、利休と共に茶の道に励み、利休も感心することが多々あったといいます。利休の死後、熊本にのがれたとも飛騨に行ったとも伝えられます。後赦された道安が秀吉の前で点前をした折、「宗易が手前によく似たると御感に預る」と茶話指月集にあります。利休の堺の千家を継ぎましたが、後継がなく最後は定かではありません。
少庵は利休の後妻宗恩の子で、堺より上洛して大徳寺門前・二条衣棚に住み、道安と共に秀吉の茶堂になったと伝えられます。天正18年上京の本法寺前に土地を賜りますが、利休の死後、会津の蒲生氏郷に預けられます。後召出され本法寺前に利休の不審菴を再興し利休のあとを継ぎます。利休の茶は京の千家として以後現在まで続いています。
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