不審菴の内露地の飛石は、まさにその意味合いが実感できる石配りである。これは実際に歩いてみるとわかるのだが、一つ一つの飛石が、露地の中で最も小さくなっている。ところが、不思議と足の運びに馴染みとても歩きよいのである。
この飛石が何時の時代に持ち込まれたかわからないが、長い時間試行錯誤された結果であろう。
不審菴前の内露地とよく似ているのが、京都山崎の妙喜庵(みょうきあん)にある利休の作といわれる待庵(たいあん)とその露地であろう。そこにも利休の求めた飛石の打ち方が共通しているように思える。
石が小さいのは、不審菴前の内露地がとても狭くなっているからだけでなく、いよいよ大切な茶席に入ろうとする来菴者に、よい意味での緊張感を足下から感じさせている。
|