
私の義父(湯木貞一)は、尋常高等小学校を卒業して15歳のころ、父親(私の義祖父に当たる)が経営していた神戸にあった料理屋・中現長(なかげんちょう)の調理場に見習いに入りました。実のところ、上級学校に進学して勉強したいという希望を持っていましたが、「料理屋に学問はいらない」という父親の考えで許してもらえず、諦めたということでした。
それならば、一流の技術を身につけたいと考え、その当時大阪で有名であった三人の料理人から指導を受けたいと、父親に頼みました。父親は喜んで、通り名を大名竹という人を大正4年に大金で迎えてくれたそうです。そして人並み以上に努力を重ねて、23歳頃には料理の修行はほとんど出来上がっていたそうで、親方の次の役である煮方さんの立場となっていました。
しかし、何か仕事に気持ちの入らない毎日が続いていたそうです。そうしたある日、一緒に働いていた大阪の大店「魚岩」の甥であった松浦さんが本を貸してくれました。その本の中に松平不昧公の茶会記があり、中の懐石の献立に目を奪われたそうです。その懐石献立の中に「あふれんばかりの季節感を感じた。ああ日本料理には季節があるではないかと感激し、目の前のウロコがパッと取れたような気がした」ということでした。この話はよほどその時の感激が印象に残っていたのか、何度も聞かされました。その時から「お茶」に興味を持ったそうです。そして仕事にも熱が入るようになり楽しくて楽しくて仕方がなかった、と言っておりました。
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 徳岡 孝二(とくおか こうじ)氏 |
京都吉兆代表取締役社長
昭和11年
神戸に生まれる
昭和41年
京都吉兆へ。京都支店長就任。
平成 3年
京都吉兆社長就任
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吉兆のこと |
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