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昭和12年、義父は念願の表千家様へ入門をさせて頂きました。36歳の時でした。即中斎宗匠が襲名されて間もない頃で、12時少し前に門前に立ち、お祖堂の点雪堂にお参りし、盃を頂戴したということでした。その感激は一生涯忘れられないものであったようです。そうした頃に銘手習の茶杓を頂戴したことがありました。それは茶杓の裏に朱漆でいろはと書かれている珍しいもので、現在は、湯木美術館に収蔵されています。
入門と同じ年の11月に、吉兆が繁盛して新町の店が手狭になったことから南船場の畳屋町に移転をしました。間口3間、奥行30間の広さで、新町のおよそ12倍にもなりました。三畳台目の茶室を入れて9間もあった大きな風情のある店だったそうです。残された店の記録によりますと、古備前・永楽・白井半七・初代竹泉・楽吉左衛門などの器を用いていたそうですし、掛物は清巌宗渭・酒井抱一・呉春・烏丸光広などで、一級の品を心掛けて集め、用いていたことがわかります。
その後、昭和20年に戦災に遭い、戦後の最初の店は現在、湯木美術館のある平野町でした。その後、京都嵐山・大阪高麗橋・東京銀座と店の数が増えていきました。
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即中斎自作茶杓 銘 手習(湯木美術館蔵) |
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