義父にはさまざまな事を折に触れて教えてもらいましたが、店のことで一番大切なのは「お客様が何を望んでおられるか。そのためにはどのようにしたら喜んで頂けるか」ということでした。玄関のしつらえ、部屋のしつらえなど、その時々の趣向を考えて掛軸や花と花入を選び、献立は勿論のこと、食器にも心を尽くすことです。
義父は、料理の天才だったと思います。私が言うのはおかしいことですが。義父が嵐山の店に来られたとき、器に盛られた料理を見て「ちょっとお箸を貸して」といい、すっと料理に手を加えると、料理が見違えるように、花が咲いたように美しくなったものです。ああしたことは、中々に出来るものではありません。やはり、美に対する感覚が優れていたのだと思います。そして、いつも料理のことを考えていました。暮らしの手帖社の故花森安治様が義父のことを「金太郎飴のように、いつでもどこでも、料理の話しか出てこない」と書いておられますが、本当にそうでしたね。
義父は、「工夫して心ととのふ己が手に 花鳥風月みな料理なり」の和歌を残しています。また、「世界の名物 日本料理」のフレーズを考えたごとく、日本料理に大きな誇りと希望を持っておりました。そして「なんとかして、日本料理の本格的なものを完成したい」と念願していました。
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