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私の居ります大徳寺は開山である大燈国師が嘉暦元年(1326)に洛北紫野の地に大徳庵という小庵を創建されたことに始まります。その後、花園天皇の勅願所となり、次の後醍醐天皇の厚い帰依を受けて「本朝無双の禅苑」という御宸翰を賜わり洛北随一の大寺院となりました。
大徳寺と茶道との結びつきは茶祖である村田珠光が一休禅師に参禅した事に始まり以後、武野紹鴎、北向道陳、今井宗久、津田宗及と言った人達も皆な大徳寺歴代の和尚方に帰依し参禅しました。殊に千宗易は堺・南宗寺の大林宗套、聚光院の笑嶺宗 に参じて「茶禅一味」の境地を体得して茶の湯を極めました。「茶禅一味」という禅の精神的理念を取り入れて茶の湯を「道」という処まで高めて侘び茶を大成されました。
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 髙田 明浦(たかだ みょうほ)猊下 |
臨済宗大徳寺派第15代管長
昭和18年
山梨県に生まれる
昭和42年
東洋大学文学部仏教学科卒業
大徳寺僧堂に掛搭、看雲室中村祖順老師に侍し鉗鎚を受けられる
昭和59年
大徳寺別院龍翔寺住職並びに大徳寺派専門道場師家に就任
平成15年
第15代管長に就任
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