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大徳寺法堂 |
墨跡といえば『南方録』に「掛け物程、第一の道具はなし。客、亭主ともに茶の湯三昧の一心得道の物也。墨跡を第一とす。」とあります。村田珠光は一休禅師から圜悟克勤の墨跡を贈られ武野紹鴎も虚堂和尚の墨跡を珍重されておったそうです。利休居士も圜悟克勤や古林清茂、南堂清欲といった中国の名僧や大徳寺開山の大燈国師、参禅の師である古渓宗陳の墨跡を所持し大切にされておりました。
利休居士が織田信長、豊臣秀吉の茶頭として活躍した事に依って信長の葬儀を大徳寺で行い菩提寺として総見院が建てられ、秀吉の母親の大政所の為に天瑞寺が作られました。居士の弟子である細川三斎は高桐院、蒲生氏郷は昌林院、片桐石州は高林院。そして金森宗和の真珠庵、大友宗麟の瑞峰院、黒田長政の龍光院、小堀遠州の孤篷庵、前田家の芳春院といった大名が塔頭を建立し、茶席を造り、茶の湯と縁のない塔頭を探すのが困難な程であります。
また大徳寺には国宝・重文の建造物、書画美術工芸品、名勝庭園等がたくさんあります。正に日本文化の宝庫であり、日本文化の源流であります。今日、世界各国の人達が日本の精神文化に注目して大徳寺の禅と大徳寺の禅文化に魅せられております事は茶道と無関係ではございません。
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