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第1回時代祭当日の様子 (明治28年10月25日) |
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建久2年(1191)、建仁寺開祖栄西により、宋風の喫茶法が伝えられます。抹茶の請来です。栄西は我国に禅を伝えた人物で、抹茶法は「茶礼」として禅院に取り入れられ、その後武家や公家の社会に広まる事になります。そこにはお茶の大量生産という側面も見のがす訳にはいかないと思われます。京都栂尾を第一に京都府下、大和、伊賀、伊勢等各地でお茶が生産されていた事が、後には庶民にまで飲茶、喫茶の風習を広げる事になります。室町時代には将軍邸での茶も生まれ、武家の宴会でも茶が出される事が一般化し、町人社会においては寄合の茶へと発展することになったと思われます。この寄合の茶から武野紹鴎によるわび茶が提供され、千宗易(利休)により大成されます。今日まで連綿と続く茶の湯の成立です。本当の意味での茶の湯の成立は、茶の湯宗匠家の成立をもって言うのかも知れません。それならば千宗易の孫千宗旦を始めと考えても良いかと思われます。宗旦は3人の子息にそれぞれ宗匠家としての一家を構えさせます。二男宗守は「武者小路千家」、三男江岑宗左は「表千家」、四男仙叟宗室は「裏千家」。この三千家の成立により、宗旦の高弟たちも一家を構えるようになります。藤村庸軒の庸軒流、山田宗 の宗 流等。武家社会からは古田織部の織部流、小堀遠州の遠州流等、現在につながる流派が成立します。
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 九條 道弘(くじょう みちひろ)氏 |
平安神宮宮司 九條家35代当主
昭和8年
東京に生まれる
昭和32年
関西学院大学文学部卒業
平成 3年
平安神宮宮司就任
平成14年
神職身分特級を授かる
平成29年 9月16日にご逝去されました
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平安神宮のこと |
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