花入ばかりでなく茶杓や自在も皆、竹で作るわけで、そのために千家出入りの竹屋さんがいました。名前は市兵衛(いちひょうえ)といいます。市兵衛と宗旦の間でも狂歌のやりとりがありました。花入ではなく自在竹の注文で市兵衛が作り宗旦に納めたときのことです。
できました、御気に入らずば被下(くだされ)よ、自由自在になおしこそすれ
宗旦の返歌は
細工よし、狂歌もことに市兵衛 見聞(みきく)事こそ上手なりけり
というものでした。自在の出来ばえに満足したようで、ついでに狂歌も一番(市兵衛)とほめています。
そんなわけで宗旦のところへ竹花入の注文が殺到しました。ある日のこと、宗旦が花入作りに専念していました。花入を切るといっても宗旦が実際に切るわけではありません。切るのは市兵衛のような専門家です。宗旦はどこで切れ、どこへ窓をあけよ、どこへ釘穴をつくれ、と竹の姿にあわせて、墨で印を打ってゆきます。お手伝いは息子の江岑宗左。江岑が見ていますと、よほど沢山の竹を手掛けていたのでしょうか、手早くスッ、スッと宗旦は無造作に墨を打ってゆきます。あまり無造作にすすめるものですからつい我慢できなくなって、「お父さん、もうちょっと考えて墨を打ってはいかがですか」と申しました。すると宗旦は江岑を叱りつけました。「そのようなことを言うお前には、誰も花入を頼みにこないだろう。私は誉められようと思って作っているのではない。慰みに作っているのだ」といいました。
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