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惺斎宗匠消息文 古賀與助氏宛 昭和7年 祖父長崎出張の紹介状 |
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祖父貴一が惺斎宗匠のお許しを得て帰阪した翌々年の大正4年(1915)、父貴道が生まれました。惺斎宗匠は父の誕生祝いに樂弘入氏に平茶碗を作らせて、祖父にくださいました。碌々斎宗匠は、明治35年(1902)から43年(1910)頃まで隠居されてからも大阪によく来られ、平井利兵衛氏宅裏の南船場倶楽部で稽古や書付をされたと祖父から聞いています。祖父の修業時代からの生涯にわたる大恩人の中には、数寄者では山口玄洞氏、惺斎宗匠の又従兄弟に当たられる歌人の山本行範先生、国文学者の吉澤義則先生、阪急創業者の小林逸翁氏、大徳寺では昭隠老師や間宮英宗老師などがおられました。特に山口玄洞氏のお世話で祖父は大阪の浮世小路に稽古場を設けました。ここは近代の代表的な数寄者平瀬露香氏の別邸小路座敷「一方庵」の跡でした。昨年(2008)、大阪歴史博物館で平瀬露香展があり、「一方庵」の解説が祖父から聞いていたことと重なり驚いた次第です。その後再び山口氏のお世話で淡路町に稽古場を移しました。そこは鴻池旧宅に移る前の美術倶楽部も向かいにあり、ちょうど大名家の入札が始まった頃で、名物道具が落札されたときの歓声が聞こえたと聞いています。大正から昭和にわたって、多くの表千家門人の数寄者の方たちや大阪の主な道具商の方たちが祖父と父を支えて下さり、そのおかげで大阪の茶の湯の発展に尽力出来たのです。また、惺斎宗匠のご命で祖父は福岡・長崎方面にもご縁をいただき、福岡の田中丸様や長崎の松田様他、九州の同門の方々には世代を超えて今もご縁とご恩をいただいている次第です。
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