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ご承知の通り、東大寺の宝庫は「正倉院」でした。世界遺産“正倉院”は刺封によって保護管理されています。年に一度の曝涼の扉の開閉は、勅使立会の下に行われます。
江戸期の資料絵画面によりますと、勅使は四聖坊でお茶の接待を受けます。寺侍や僧らが茶筅をふっています。四聖坊には八窓庵の名茶席がありました。茶の創生期にあった村田珠光、武野紹鴎、千宗易、東大寺、興福寺の僧に混じって、塗師の松屋の名も連なっています。終日の清遊三昧に、当時のお茶人らは何を語ったのでしょう。
この名席は明治の元勲井上公に請われ、解体、大坂港から新都東京に運ばれ、明治、大正、昭和の三代にわたって愛用されましたが、第二次世界大戦終末の、東京大空襲の炎で灰燼に帰しています。
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