珠光は浄土宗の僧侶であったのを一度は還俗しておりました。こちらに訪れた時に一休禅師と出会いそして一休禅師のもとに参禅することになります。ある説では珠光が坐禅中にいねむった為、一休禅師がお茶を飲むことをすすめたという話がありますが、これは実際のところ本当かどうか定かではありません。しかしながらこのように私たちの中で語り継がれたのには何か深いわけがあるのではないでしょうか。茶禅一味という言葉がございます。茶と禅とは大変深い関係にあります。珠光自身、一休禅師に参禅する中で公案をもらいそれに取り組んでおりました。禅とは単を示すと書きますが、非常に簡潔な何事にもとらわれないシンプルな心のありかたを禅と言います。動中の工夫といいましてこの心が日常のあらゆるところにあらわれてこなければいけません。昔の先人たちは茶の中にこのとらわれのないスカッとした禅の心があることを求められたように思います。村田珠光も「心の文」において
「此の道、第一わろき事ハ 心のかまんかしゃう也」と言っております。
慢心や自分に対する執着というものが何よりとらわれになり茶道への妨げになるといいます。
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