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わが家の先祖は、越後の国(新潟県)に住み安土桃山時代に京都に参りました。もともとは甲冑(かっちゅう)や鎧(よろい)などの武具を作っていたようですが、利休さまのご依頼により、得意の打物(うちもの)の技を生かして薬鑵(やかん)を作ったのが家業のはじまりと伝えております。天正15年(1587)に秀吉公が催した北野大茶の湯に際し初代が作らせて頂いたもので、これが今日に伝わる「利休形腰黒薬鑵」でございます。
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中川淨益(なかがわ
じょうえき)氏 |
千家十職 金もの師
大正9年
10代淨益の長男として、京都に生まれる
昭和11年
京都市立第二工業学校
(現・伏見工業高校)卒
昭和16年
21歳で千家に出仕、11代淨益
として家業を継ぐ
平成20年
1月15日にご逝去されました
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中川淨益家のこと |
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