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江戸初期、寛永年間(1630年頃)に至り、2代目の千家様お出入りがかない、表千家4代家元・江岑さまのお指図を受けることとなります。江岑さまのお申し付けにより、以降、代々淨益を名乗っております。2代目の妻は金森宗和(かなもりそうわ)の娘でしたから、江岑さまはもとより宗和公のはからいによって起用せられたようでございます。
古よりわたくしどもが制作して参りましたものには、お茶席で使用されます花入、水指、建水、蓋置などのお道具から、燗鍋(かんなべ)、湯次(ゆつぎ)に至る懐石道具まで、金属のものなれば何でも作るお仕事と申せましょう。
しかし、祖父が申しておりました「中川家は利休さんから水次薬鑵(みずつぎやかん)と火箸と灰匙(はいさじ)だけを許されて作ってるんや」ということばにも、深く思いをいたしております。
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