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利休はこうして大徳寺僧について参禅修行をし傾倒し後に聚光院に天正27年正月聚光院に寄進がなされます。 かつて堺の領主であった三好長慶の菩提寺であり、笑嶺の寺であった寺に、これも同郷の誼みか、自刃の2年前に、亡き父一忠了専五十回忌、月岑妙珎と二人幼児の供養のため年に米7石を永代寄進。さらに自分たち夫婦、利休宗易、宗恩生前であるから逆修とし但書きに墓には名前に珠を入れて墓を納めるから後宜敷くとした寄進状が残っております。 これにより利休は聚光院の檀家となり同年12月、利休が施主となって父親五十回忌を厳修し御供養として大徳寺本山の「金毛閣」の寄進造営が完成。これによって聚光院と御縁が深くなり三千家につながって来ております。 こうして利休茶道が四百年来継承されてきております。

 
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