
利休は、天正19年2月28日、秀吉に切腹を命ぜられ、歿します。何故切腹を命ぜられたのかは、今日なお不明であります。
利休は、自筆の遺偈を残し、従容として自刃いたしました。遺偈には、
人生七十 力圍希 咄
吾這宝剣 祖仏共殺
提ル我得具足の一太刀
今此時そ天に抛
天正十九仲春
廿五日 利休宗易居士
(花押)
とあります。
自刃に臨んで、その切迫した境涯と気迫を込めた遺偈であります。
以後、歴代の宗匠は、その遺偈を追慕し、利休の茶の湯を今日に伝えて来られました。
7代如心斎は、利休150回忌にちなみ、祖堂を建立し、「ふるとし(年)祖堂を建立し、尚、元旦影像を拝して」として、「百五十年の春も居士衣の光かな」の一句を残しておられます。 |