母屋と離れたところで茶の湯を行うことは、利休の時代にはすでに始まっている。草庵と言われる茶室が「山居」であるならば、それは柱は丸太で壁は土壁。柿葺き(こけらぶき)か茅葺き(かやぶき)の屋根ということになる。壁には下地をそのまま見せた窓を開け、連子窓(れんじまど)と呼ばれる竹の桟の光取りを付ける。まさに鄙びたしつらいを造作するのである。そして客は山道を通らねば、その建物にはたどり着けない。家元の露地にもそんな山路が用意されている。
この石橋を渡ると大きな飛石に小さな自然石が埋め込まれた小道が続き、露地の中では一番小高くなった場所に足を運ぶことになる。ここからは低く刈られた垣根の向こうに、奥の茶席が見えてくる。小道の反対側は更に小高くなり、遠くの山々の頂が雲の上に頭を出しているように石が配されている。
山道は緩やかに蛇行しながら徐々に下がっていく。ほんの10メートルほどの道のりなれど、まさに奥山の道を歩んでいる気持になれる。
茶席からも山道を進む客の姿が見て取れる。そろそろ香を焚こうかと。