そこで空堀と思っていた小川が、あたかもこんこんと水を湧きだしているのではないかと見間違うのである。
そんな場所だから、川辺に下りて水をすくうように、大きな飛石を2段ほど下りて手水を使うことになる。下り蹲踞(おりつくばい)といわれる所以であろう。
茶事で蹲踞に水を張るのが亭主の最初の仕事ならば、客もその意を汲んで冷たい水で手を清め、口をすすぐ。心身共に清浄な心持ちになることができる。
いよいよ特別な時を亭主とともに共有するのである。
亭主は客をあたかも神のようにむかえてもてなすのである。
古来より清めには塩が使われてきた。神社の周りでは塩に見立てた白砂が、清めの意を表している。
山中など塩がないところでは、柴を手折ることで清めの作法とする考えがあった。
祖堂入口の際に、黒文字(くろもじ)の垣根が据えられているのは、単なる装飾でなく、山居での清めを意味すると考えられないだろうか。