「路次」という言葉は室町時代に使われ始める。もともと狭い路という意味で、茶の庭が「路地」とか「露地」と呼ばれるのは、紹鴎や利休の時代を経て、茶の湯に禅の精神が盛り込まれるようになってからであろう。
茶室に付随する空間として、最初は「坪之内」と呼ばれていた庭に相当する場所があった。『山上宗二記』には「面坪ノ内」や「脇ノ坪ノ内」といった表現が出てくる。
茶の湯の座敷自体が本宅の住まいと続いており、客は別の入口から屋敷をぐるっと回って坪之内から茶席に上がり込むような構えにする。
するといかにも違う世界に足を踏み入れるような効果があり、別世界へと誘う手段として大きな意義を持つ。
坪ノ内は一畳ほどの空間であり、今考えられるような庭としての意匠はなかったであろう。紹鴎の坪ノ内について「大ナル柳一本」だけという簡素な意匠の庭が伝えられている。
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