覚々斎時代の近衛家煕(このえいえひろ)侯(予楽院)は茶の湯に造詣が深く、その御殿医山科道安が記した『槐記(かいき)』は、茶の湯のみならず、当時の文化全般に多くの示唆を与えてくれます。その一つに例年正月元日または4日に、御所へ参候し「御熨斗昆布御手自頂戴(おんのしこんぶおてずからちょうだい)ス」とあります。
熨斗昆布とは、熨斗と昆布を貼り合わせて四角く切り三宝にのせ、主君から家臣へ下げ渡すものであります。天皇自らが家煕侯など側近へ下げ渡される儀式が執り行われました。 家元では、元日に挨拶に来られる職家(千家十職)に、宗匠が自ら渡され、職家銘々はそれを懐紙にてお受けする様であります。秘事とされ家元と職家のみ同席されます。御所での慣習が、武家へ伝えられ、紀州徳川家から家元へ伝えられて、現在に至るまで綿々と伝えられています。
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