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この少庵宗淳が利休居士の後を継いで千家を再興し門前に在った利休邸を今の小川通りに移して不審菴を構えたのであります。少庵の子が元伯宗旦で宗旦は利休居士の画像に賛をした三玄院の春屋宗園に師事し、また弟子の芳春院・玉室宗珀にも参禅しました。その外にも清巖宗渭、天祐紹杲、天室宗竺、玉舟宗璠といった和尚方とも親交を深めました。ですから当然、大徳寺の禅は宗旦に少なからぬ影響を与えたものと考えられます。不審菴を床なし一畳半の茶室とし、また芳春院にも一畳半の茶室を造った宗旦は床の間のない茶室には掛物や花すら不要という。それは大徳寺の和尚に参じて体得した一切をそぎ落した「無一物」の境地から出て来たものと思われます。侘び茶を以って千家の茶の湯を再興するという使命を担っていた宗旦は参じた大徳寺の禅的精神に立脚した茶道に依って利休居士の侘び茶を隆盛させたのであります。 |
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