原さんは、花の名手でもあり、東京・吉兆に花を活けにいらしていた。お道具の知識も並大抵ではなく、吉兆主人・湯木貞一さんと、今は湯木美術館でしか会えないお道具類を前に、2人で話し込むことも多かったようです。そんな原さんに言われたことが、「あなたは花は習わないほうがいい」、それより「自分の目で、自分の好きなように活けたほうがいい」ということ。実際、私が入れた花を、原さんが直すことは一度としてありませんでした。「花はその人なり。その人の活けた花はさわってはいけない」という考えの持ち主でした。
その頃、私は主張する花ばかり活けていました。色、形、量でインパクトを出し、自分の思いをぶつけるような花。それが茶花を知ることで、私の花が大きく変わったのです。
茶花とは、自分の思いそのものではなく、客人を迎える花、客人に思いを伝える花、客人を喜ばせる花でもあるわけです。そのためには、一歩も二歩も引くこともある。ここに、西洋の花文化との違いがあります。西洋の花が油絵なら、日本の花は日本画。油絵は重ねることによって表現してゆく。デコレーション、足し算の花です。でも、日本の花は、引き算の花。そぎ落とすことで、浮かび上がってくる真実がある。利休居士の朝顔を持ち出すまでもなく、一輪でこそ美しく、またそれを美しいとする感受性は、日本人ならではの世界です。
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