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寄り付きに工夫をこらす茶会は少ないからでしょうか。未だに、あのときの餅は・・・・・・と、話題になる。私が数寄者だからこそ許される遊びかもしれません。しかし、その謎かけのような趣向も、分かる人は分かる、分からない人は分からない。でも、分かったほうが楽しいではないですか?読めない掛け軸を「ふんふん・・・・・・」と鼻で読み、拝むだけで、何も得ずに帰ってもつまらない。「どう読みますか」「どなたの筆」と聞かれて答えるのも、亭主の楽しみ。
昔は会記などありませんでしたから、客人と亭主の丁々発止のやりとりには緊張感がありました。今も昔も、会話がもてなしなのです。
今、つくづく思います。茶席で学んだことは、ものを見る目、知ろうとする心、人との交流、何より自分とは何か。多少なりとも真実を学んだとしたら、それはお茶の中から得たものだと言えるでしょう。
そうそう、この茶会の本席には、私の大好きな掛け物を使いました。元伯宗旦筆「寒山拾得」画賛。
寒地半落葉
山禿戴頭雪
十分 儘磨
得読書一生
一生が勉強。死ぬ日まで勉強、かもしれません。
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元伯宗旦筆「寒山拾得」画賛 (昭和63年 不審菴茶会) |
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