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聚光院門前 |
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わたしの父は北陸の生まれで、昭和十年代に京都の大学に入学いたしました。そのとき、下宿したのが大徳寺の塔頭聚光院。いうまでもなく、利休居士の墓所で、三千家の菩提寺です。
田舎から出てきたばかりの父は、そんなことなどまったく知らず、ただ、大学に歩いて通えるお寺に下宿しようと、大徳寺を歩いて探したそうです。浄土真宗末寺の三男坊だった父にしてみれば、町家の二階で間借り下宿するより、宗派は違っていてもお寺のほうが気が楽に思えたのでしょう。
大徳寺を歩いて、父は門構えがいちばん立派な塔頭に入って下宿を頼んだと言っていました。
「真宗の坊主はダメだ」
あらわれた和尚さんに、まず、そう断られたそうです。
「住ませてみないと分からないでしょ」
そう反論すると、納得してくれたそうです。聚光院には、先に二人の学生が下宿していたと聞きました。
大学を繰り上げ卒業して学徒出陣した父は、終戦後に結婚して、仕事のため京都にもどってきました。
その新婚時代に、夫婦してまた聚光院にお世話になったそうです。閑隠席でよく昼寝をしたと言っていましたから、なんとも贅沢な新婚生活です。
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