姉が生まれることになって、両親はお寺を出ました。住んだのは大徳寺から歩いてほんの数分のところで、わたしと姉は小さいころからしばしば聚光院に連れて行かれました。両親にしてみれば、お世話になった御住職に、子どもがこんなに大きくなりましたと報告のつもりだったのでしょう。その御住職は白髯の中村戒仙師でした。
お寺に行くと、まずは方丈で手を合わせてお参りします。狩野永徳の四季花鳥図がなんとも印象的でした。
それから奥にまわって、閑隠席を拝見しました。
「利休はここで腹を切ったのだ」
父はいつもそう言いました。いまでは、あの席は利休居士百五十回忌のときに寄進された建築だと分かっていますが、わたしが幼かった昭和三十年代当時は、聚楽第の利休屋敷からの移築だと伝えられていて、御住職もそう信じていらっしゃったのです。
幼かったわたしにとって、切腹のイメージは強烈でした。三畳の座敷に突っ伏す茶人の姿が、くっきりと脳に焼き付いてしまいました。
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