私は、いま、京都池坊短期大学の客員教授をさせて頂いております。
学生が茶席で堂々とお茶をのんでいる姿を見て、たいへん感激したことを憶えています。作法をきちんと基礎から習い、体で覚えている。より多くの学校が、こうした日本人にしかできない日本文化の教育をとりいれたら、日本人はもっと日本人でいられる、そして、どれほど多くのすばらしい国際人を育てることができることでしょう。 子供たちが伝統にふれるきっかけは、とても身近で、なんでもないことです。そのひとつが、教える人の表現力と人となりです。教える人への憧れと敬意こそが、習う人に伝統にむかうおおきな道をひらきます。何も知らないこれから学ぼうとする人たちに、勉強しなさい、先生の話を聞きなさいと、声高におしつけてもただ難しく、意味あるものさえ無闇に思えるでしょう。伝統的なものにはすべて意味が備わっています。その意味の難しさを楽しみにかえる力、それを生み出すのは、先生の人としての魅力にほかなりません。 私の家は、代々表千家の茶の湯を嗜んできました。いまも伯母は稽古場をひらき、お茶を教えています。そこでは、茶の湯を通して、先人を敬い、先人が見た風景を思いえがき、日本人の心のあり方を考える場が提供されています。私自身、母の茶の湯への接し方に多くのことを学んできた気がします。雅楽を知る、教える、習うという道筋にしても、音楽の技術だけでなく日本の文化を好きになる環境を責任もって用意する。子供たちのひらめきを教える人が大切に汲み上げて、それをそのままかたちにして返し、考える場を広げていく。文化を身につけるという言葉もいらないほどの場を整えて子供たちにそこに身をおいてもらう、これは私たちに与えられた役割かもしれません。
そして、いつの間にか、自然に日本の文化を備えた子供たちがたくさん育っていくことを期待しています。
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