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東儀氏作陶の様子 |
私は、不作法ながらも、「お茶を楽しむ」ということに敬意を払っています。幼い頃から普段の生活のなかに母の点てたお茶がありました。母は、ごく自然に、お茶で人をもてなします。茶の湯を日本のものとして敬意を込めているという姿を、私は母に見ています。
相手によって、時にはきちっと一服の茶を差し上げ、時には教え、また家族とはごく軽妙にかたちにこだわることなくお茶で語らいます。物事や人に対する接し方、そこにあらわれる敬意は、おそらく先人たちの深く重い部分への敬意があるからこそ、軽いこともけして軽んずることなく軽々とこなせるのではないかと感じています。
私は、幼少期を海外で過ごしたことからか、それぞれの国で生まれた文物を大切に受け入れてきました。茶の湯は日本の文化ですが、古い道具を拝見しても見立てるという楽しみは大きいと思います。私自身、外国で手にした陶器を茶碗に見立てたり、季節の花との取合せに思いをめぐらせることがあります。これは茶の湯を身近に感じとることのできる要素だと思います。道具が語りかけるものがあり、客人への趣向がこらされ、人と道具が出会う。そこにセンスを感じること、それはとても素敵な日本人的な感性だと思います。
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