
私は、楽家(がっけ)という代々雅楽を業とする家に生まれ育ちました。しかし幼少の頃は雅楽をしなさいと言われたこともなく、クラシックやジャズ、ポップスと興味のおもむくままに好きな音楽を楽しんできました。雅楽をはじめたのは18歳の時、宮内庁楽部に入ってどっぷりと修行を受けることになり、現在は、個人での活動をおこなっています。
よく私の中の古典的でないもの、古いものと新しいものの融合されている部分が私の作品の個性としてとりあげられますが、私は自分の創作のなかに作為というものを意識したことはありません。私の中のもっとも重要な部分は、私がこの日本に生まれ育ち、日本人の血が流れている、その上でいろいろなものに対する好奇心が感性を刺激し、ごく自然に湧きあがった、ということではないかと思っています。
雅楽は、古い時代に大陸から仏教音楽として日本に伝えられ、大陸のひろい範囲の芸能と日本に古くから伝わる芸能が融合されて日本独自のものとして形づくられてきました。茶の湯もまたそうであるように、雅楽にも伝統的なたくさんの決まりごとがありますが、そのひとつひとつは、すべて、この日本の風土、日本の地理的な位置が生み出す春夏秋冬の美しさ、それを敏感にかぎわける国民性がこの国土の上にはぐくみ、自然にできた作法だといえないでしょうか。
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