私はいつも日本人として胸を張っていたいなと思っています。そのためには日本という国のことを少しでも語れることが大切です。しかし、必ずしも伝統的なものだけが日本の文化ではありません。
最先端の文化や最新技術もまた、日本人の考え方が反映されているものは、大切な日本の文化だと思っています。伝統と今は、私の中ではとくに仕分けなく一直線上のものとして存在しているのです。自然に生活のなかで見聞きして感じとることができる、しかしそれが実は何百年も前から当たり前に存在し続けているもの、その時間と空間の総体が私たち日本人の誇れるものではないでしょうか。雅楽も茶の湯も、発掘されたものではなく生き続けている、その続いているということをより多くの方々が自然にうけとめて頂けたらと思います。そして、わけ隔てなく自由に文化にふれているうちに、結局は何年、何百年たっても変わらないものがもつ強さを、自由にふれればふれるほど感じることでしょう。
なぜなら、古典とよばれている雅楽は、おそらくそれがつくられた時、100年後や1000年後のその楽曲の命のことなど考えることなく、自分が生み出せるものを自分のできるかぎりの範囲でかたちにしたもの、それが作曲家の自我をこえて、この風土にゆだねられ今日に伝えられていると考えられるからです。おそらく神仏に音楽を捧げるということは、奏ずるものたち一人一人の自我を注ぐ余地などないものなのです。何百年という長い時間のなかで、一人の人の構築ではなく、何人もの人たちが迎えた環境こそがその構築を重ね、完成されたものをそのまま受け渡していくこと、それが伝統の継承の仕方の基本であると考えています。
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