世界の喫茶文化
茶の湯の伝統
利休の茶の湯とその流れ
茶室と露地
形とふるまい
茶の湯の道具
茶の湯の楽しみ
静聴松風
茶人のことば
村田珠光「心の文」
武野紹鴎『山上宗二記』より
千利休『逢源斎書』より
千道安「茶の湯道歌」より
千宗旦「元伯宗旦文書」より
千宗旦「茶杓絵讃」より
江岑宗左「江岑宗左茶書」より
千少庵 「少庵の事績 京都と会津」
随流斎『随流斎延紙ノ書』より
表千家の茶事
内弟子「玄関」の一年
茶の湯の歳時
茶の湯の菓子
茶室への誘い
利休をたずねる
花所望
これは、おそらく「鸚鵡叫煎茶与茶元不識(鸚鵡、煎茶と叫ぶ。茶を与うるも元しらず)」(鸚鵡は人まねをして煎茶と叫ぶけれど、それが何物であるかを知らない)という禅語をもとにしたもので、「鸚鵡が貧者を呼ぶので、茶を点てて与えるが、飲むことはできない」ということになるでしょう。では、これは一体どういう意味なのでしょうか。 「貧者」は宗旦自身をさしていると思われます。そして、鸚鵡は「世間」をさしているのかもしれません。つまり、世間の人々は宗旦に茶を望みますが、宗旦が茶を点ててふるまっても、それをまともに飲むことができる人はいない。ある意味、世間とはそのようなものであるという、宗旦の皮肉めいた思いが込められているとも考えられます。 茶杓の讃と「鸚鵡…」の語がいかに関わるのかはわかりませんが、宗旦が茶の湯に求めたのは、そうしたことを超越した境地であることを示しているのではないでしょうか。
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