表千家5代の
随流斎が著した『随流斎延紙ノ書』にみえることばです。
随流斎はおもに人から聞いた話を書きとめていますので、自分自身のことばはあまり記していないのですが、このことばは随流斎が茶の湯に対する思いを述べたものとして貴重です。
「茶の湯は本来、楽しいものであるのに、楽しむことを知らない」といいます。そして、すぐ続けて「茶之湯持はやされて」と記しています。茶の湯を楽しむことを知らないのに、「茶の湯はもてはやされている」というのです。
このことばは、随流斎がその時代の茶の湯をみて感じていたことでしょう。元禄3年(1690)、随流斎が41歳の年に初祖利休居士の百年忌を迎えました。この年には立花実山によって『南方録』が成立するなど、利休居士の茶の湯に立ちかえろうとする時代の風潮がありました。
この時代、茶の湯はたいへん流行して多くの人に受け入れられているものの、ややもすれば形式に流され、楽しむという茶の湯本来のあり方が失われつつあったことを随流斎は強く感じたのでしょう。